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ドレスは脱ぎ捨てた

更新はまちまち。

11/29

強い人は優しいし、優しい人は強い。自分を誇示する必要がなくて、そのままの自分でいながら他人に合わせられる、そういう強さと優しさとしなやかさが欲しい。中身のない人ほどよく吠えるし、薄っぺらい人ほど自己顕示欲が強いし、何も持っていない人ほど誰かを見下すし、でも手札が多い人ほど他人を尊重できる。人のことを考えて、人のことを優先できるようになりたい。

11/24

9時に起きた。今日は最近知り合った友達が文化祭にバンドで出るから遊びに行く約束をしている。昨日の夜から胃が痛く、起きたら治っていますようにと祈ったのだけれどあまり効果はなかったみたいだ。

一旦2階へ行って梅昆布茶をいれた。普段はコーヒーを飲むことが多いけれど今日は胃が痛いからお茶。そこからはとりあえず何も食べずに準備をする。いつも通りの手つきで化粧をして髪を整えたら黒のロングブーツに足を通して家を出ると、晴れていて風も冷たくなくて、もこもこのパーカーを着てきたから少し暑い。私は薄手の上着というのを持っていないから。コートじゃない分マシと思うしかない。ウィーンにいた時はトレンチコートを持っていたのだけれど日本に帰ってくる時に捨ててしまった。今思うと持って帰ればよかったと少しだけ後悔している。

イヤホンをつけてファジル・サイが弾くモーツァルトピアノソナタ16番を流す。こんな風に晴れて穏やかな日はなんの混じり気もない、純粋なC-durのソナタがよく合う。ファジル・サイは装飾音が独特だけれどそれが逆に癖になる。3楽章まで聴いたところで駅に着いたから次はマリア・カラス蝶々夫人のアリア、よく晴れた日にを流した。別に天気がいいからとかそういう理由ではない。

電車に揺られて気がつくと大崎駅、次が乗り換えの渋谷駅だから乗り過ごさないように少しばかり緊張してしまう。11時半に待ち合わせで、11時28分に着く予定だったのに、渋谷駅でJR線から井の頭線の乗り換えで少し迷ってしまった。渋谷乗り換えは大変だ。6分遅れで駒場東大前に着いて一緒に見に行く約束をしていた友達と合流した。

駅から階段を降りてすぐの正面には立派な校門と、いつもテレビで見るやつ!な東大の時計の建物があり、それが1号館というらしい。パンフレットを見たら軽く20個くらいは建物があるようだ。友達の出番はまだ時間があるから焼きそばを買った。いつの間にか胃の痛さは治っていた。ベンチに座って食べた焼きそばは美味しかった。

この時期の東大といえば銀杏並木が綺麗なんじゃないかなと思い立って、ベンチのすぐ裏にあったから2人でその1本道を歩いた。そこで友達が写真を撮ってくれた。葉っぱが太陽の光にあたってきらきらしていた。

1号館2階162教室に着いたら1個前のバンドのアップ中だった。教室内に友達がいたから少しだけ話して、じゃあまた後でと。

彼の歌はとってもよかった!あるシンガーソングライターのバンドセットのコピーなのだけれど、その人のことが本当に好きでよく見ていて、研究しているんだなあと思って、なんだかじーんときたよ。同じ教室にいた人に3人で写真を撮ってもらって、また火曜日にライブで会おうねと別れた。

その後は東大オケの演奏を聴きたくて会場に向かったのだけれど、パンフレットに書いていた時間より早く終わってしまったみたいだったから諦めて、建物内の展示を見て回った。

一通り見て満足した私たちは彼のバンドが出ていた企画名に投票して、福引きをして紅茶をもらって大学を後にした。とっても広くて、木がいっぱいあって、散歩のしがいのあるキャンパスだった。

私たちは駒場東大前からまた井の頭線に乗って渋谷駅で解散した。大学の文化祭、初めて行ったよ。楽しかった!

JR線に乗り換えてボックス席に座っている。西陽が当たって気持ちいい。

11/18 A prosciutto flyng away

双子の友達と鎌倉に行った。前回会ったのは10月のはじめだったから1ヶ月ぶり。11時に鎌倉駅に待ち合わせだったのに、私は遅刻した。

電車に乗り、イヤホンをしてWochenende(ドイツ語で週末)という名前のプレイリストを開いてから、今年こそは読み切らねばと川上弘美「おめでとう」をカバンの中から取り出す。私の中のひとつの決まりとして、短編集や詩集やエッセイは一気に読まないことにしている。連続で読むにしても1日1話まで。そのせいで読み終わらないまま数年経ってしまったものがいくつかあり、これもそのうちの1冊。

合流して、まず向かったのは友達の念願だったというイワタコーヒーだった。私は6年くらい前に1度だけ来たことがある。晴れているけれど風が強い。人がいっぱい歩いていた。開店直後だったからかイワタコーヒーはさほど混んでおらずすぐに奥の席に通してもらえた。私はモンブランパフェとブレンドのセット、双子の友達は名物の二段のホットケーキとココアとサンドイッチを頼んだ。友達が4枚のポストカードの裏にクーピーでちょっとした旅のしおりのようなものを描いてきてくれた!1枚のポストカードには旅のタイトルと私たち3人のイラスト。あとの3枚には行きたいねと事前にピックアップしていたカフェの説明。

最初に運ばれてきたモンブランパフェは大きくて、しかも乗っている栗が甘栗ではなく渋皮栗!さらに栗のクリーム、生クリームの中のマロングラッセにバニラアイスもたっぷり使われていて贅沢で上品な甘さだった。次に運ばれてきたサンドイッチは、エビがプリプリ、レタスがシャキシャキで、ポテトサラダとコールスローまでついていて豪勢だった。ポテトサラダが特に美味しかった。1番最後にやってきたホットケーキは外カリカリなかふわふわ、バターとメープルシロップをいっぱいつけて、3人で分けて食べた!

イワタコーヒーでは私がオーストラリアに行った時の話を聞いてもらっていた。こんなことしたよとか、こんなものを食べたよとか。2人ともよく相槌を打ってくれた。

私たちの今日の目的は海辺でピクニックをすることだった。双子の友達がシートやらワイングラスやら小物やらお皿やらをバッグいっぱいに持ってきてくれた。お家で朝一番に豆からひいたというコーヒーも。イワタコーヒーを出て、鎌倉の大通りにあるワインショップへ向かった。そこには所狭しと品物が並んでいた。ふとオーストリアの白ワインが飲みたくなって店員さんに尋ねたところ2つ置いてあり、それはどっちもグリューナーフェルトリーナーだった。私はウィーンにいた時、リースリングばかり飲んでいた。それを買って足早に店を出て、次にスーパーで生ハムとサラミとチーズと友達の1人はお酒が飲めないためジュースを買った。

そのまままっすぐ20分ほど歩いたらすぐに由比ヶ浜に着いたのだけれど、砂けむりが目に直撃するほどの爆風でこのままでは生ハムが空を舞ってしまうと思い、海でのピクニックは諦めて近くにある公園へ場所を変更した。住宅街の中にある小さな公園に、シートを広げてチーズや生ハムを出してワインを注いだ。私はオーストラリアで買ったグルテンフリーのチョコチップクッキーを持って来た。控えめな音量で音楽を流しながら、秋のポカポカした陽を浴びながら。友達がルノワールの小さな画集を持ってきていたから3人で眺めた。ルノワール印象派になったのは少し後で、初期の頃は輪郭線がはっきりあると教えてくれた。しばらくそうやってごろごろしたり駄弁っているうちに私ともう1人の友達でワインを1本空けて、日も落ちてきたから片付けて、夕焼けを見るために海へ向かったけれど相変わらずのすごい風。やっぱり砂が目に入って痛い。何枚か写真を撮って早々に鎌倉の方へ戻り、喫茶店に入ってまた喋った。店内は薄暗かった。外を出る頃には日が暮れていて、また12月に会えたらいいねと話して解散した。

1万5千歩歩いた。

歩くのが好きな人が好きです。

頭に思い浮かんだことまとめ

言葉に気をつけている。どのような言葉が自分の口から出てほしいのか、常に考えている(が、酔っ払うと全てどうでも良くなるところがダメ。)どのような方向へ進んでほしいのか決めるのも、言葉次第だと思う。最悪だといえば最悪になるし、仕方ないといえば受容できる気がする。

 

あまりすぐに落ち込まなくなりたい。落ち込むというのはつまり期待しているからであって、だから私は期待しないでいられるようになりたい。

 

生きている限り誰でもきっと他人に嫌なことされて傷ついた経験はあるとは思うが、そこで自分も他人を傷つけてやろう!と思うか、自分は他人を傷つけないようにしよう!と思うかでその人の本性が出るだろうと思う。

 

表面だけ見て、なーんだうまくいってんじゃん、と思われるのが怖い。や、全然そんなことないんだよと1から100まで伝えたくなる。

 

Bald wird die länger Zeit, als ich bei dir war.

11/15 普通コンプレックスと最近好きな歌

web版のはてなブログを開いて知ったのだけれど、2人の読者がついてくれていた。更新にムラがあるし、平気で1年近く放置してしまうから、もう読んでいないかもしれないけれど、嬉しかったです。どうもありがとう。

 

普通でいられる人からふいに暴力みたいに、ぶん殴られる。痛い。やっぱり自分は普通じゃないんだと落ち込む。私は普通な人が羨ましいのに、普通な人は時々普通じゃない私のことを羨ましがる。なのに不意打ちで普通という拳にぶん殴られる。あーあ、私だってできることなら普通でいたかったよ。普通じゃないことへのコンプレックスって、どうやったらわかってもらえるのかなあ。わかってもらえないだろうなあ。でも多分私も時々私の普通じゃなさで悪気なく人をぶん殴ったりしているのだろう。だからそれを受け入れてくれる人、あるいはあまり気に留めず流してくれるような人には常日頃から、ありがとう、と思っているよ。他人の優しさと許しの中で生きているということを、何度でも思い直す。自分も他人にそうでありたい。

今日は曇り。相模湾沿いのこの街は、太陽できらきらした晴れが似合うけれど、今日みたいな静かな曇りの日も、私は好き。

昨晩今までの自分のブログを読み返していたら、こんなこと書いていたんだな、とか、こんな風に感じていたんだ、とか、いろいろ思い出した。誰かが私にかけてくれた言葉とか、忘れているつもりはないし、忘れたくないのに、意外と忘れていることもある。だから書き残していて良かった。そして文章の中でたまに友人、とか、誰か、とかいう単語が出てくる。それが誰か覚えていることもあるし、あぁ誰だったっけなあと思い出せないこともある。

そして何よりびっくりしたのは、2018年の私は春や夏が好きだったということだ。わくわくすると書いていて、今の私とは真反対だった。最近の私は夏になると精神的にも身体的にも調子を崩して寝込んでしまうから。そうなってしまったのはいつからだろう。また春や夏になるとわくわくする私に戻れるのかな、最近の私は季節が変わるたびに落ち込んでいる気がするから、季節の移ろいを楽しめる日が来るといいな。

最近はよく泉谷しげるの春夏秋冬を聴いている。サビの始まりで今日で全てが終わると歌っているのに、今日で全てが始まる、で締められているところがたまらなく好き。終わりは終わるだけじゃない、終わりと始まりは近いところにあるんだと思わせてくれる。

 

 

春をながめる余裕もなく
夏をのりきる力もなく
秋の枯葉に身をつつみ
冬に骨身をさらけだす

今日ですべてが終るさ
今日ですべてが変わる
今日ですべてがむくわれる
今日ですべてが始まるさ

 

泉谷しげる 春夏秋冬

11/13

メルボルンに行って、帰ってきました。

友人が住んでいてふと、会いたい!と思い、連絡をして、もう1ヶ月後にはフライトでした。

11月7日の朝9時半、大通りの東側から向かってきた友達。

前日に一緒に作ったプレイリストを流しながら、レンタカーを往復4時間も運転してくれて、フィリップアイランドで小さくて可愛いペンギンや、野生のワラビー、オーストラリアっぽい!みたいな景色とかを見て、(朝、通信障害で全くLTEが繋がらなくて焦りました。車を走り出した途端に5Gに戻ったね。本当によかった。天気はあまり良くなかったけれど、曇りの荒々しい海も私は好きでした。)中華街では気に入った中華料理屋さんに出会って、南メルボルン市場で大好きな牡蠣をひとりで4つ食べて、何日目かの夜にはオーストラリアのスーパーでしか見たことのようなカンガルー肉と野菜を2人でステーキとシチューに料理してワインと一緒に飲み食べして、4年ぶりに会った友人とそうやってたくさんの時間を過ごせたことが嬉しくて、ずーっと楽しかったな。

あの人に会いたい、と思ったときに外国にまで行ける自分で良かったなと思います。

旅の全てがうまくいったのは、真っ直ぐで、少しだけわかりにくくて、寄り添ってくれたかと思えばたまにちょんと突き放されて、帰りのバスで泣いていても何も言ってくれないのに、空港の別れ際には私が振り返ったときに姿が見えなくなるまで立っていてくれている、友人のそういう不器用なようで器用な、器用なようで不器用な、時々気づけないくらいさりげない優しさの中にいさせてくれたおかげです。

今、すごく寂しいけれど目で見たもの、耳で聞いたもの、喋った内容やかけてくれた言葉、香水のにおい、ゆっくり頭の中で思い返しながら大事になぞっているよ。

友達のオーストラリアでの生活の全てがうまくいくように心から祈っています。