google1ddf4f7d92ae845a.html

ドレスは脱ぎ捨てた

更新はまちまち。

10/18

11月に行く海外旅行の計画を立てている。

10カ国以上旅行してきて分かったのは、私は海外旅行に行く時は徹底的に調べて、ToDoリストを作って、クエストのようなものを自分に課して、それをひとつひとつクリアすることが快感だということ。だからノープラン、気まま、その場で決める…みたいなのが絶対できない。頑張ってノープランでいこうと思っても、つい調べてしまう。

Googleマップにピン刺して、消化して、ピン消すorお気に入りをつけて、クリアするごとにピンが減っていくところに興奮を覚える。

30.8.2022

今日はウィーンで知り合った友達の演奏会があって、YouTubeでも配信していたからリアルタイムで聴いていた。プログラムにラフマニノフのピアノコンチェルトの2番が入っていたのだけれど、3楽章にあるトリルの部分が好きなんだ、って話を前にこの友達にしたことがある。コンサートが終わってからちょっと電話をしたら、君があそこ好きって言ってたの思い出してちょっと長めに弾いたよ、と話してくれてとーっても心が暖かくなった。誰かの生活の一部に自分が溶け込んでるんだと感じられることは嬉しい。それが、自分の生活の一部に溶け込んでいる人であれば尚更。

(下書きの投稿)

6/16

中国人卓球選手にハマってYouTubeやネットで検索してインタビューを読むだけでは飽き足らず、weiboを入れた。選手が中国語で喋ってる動画を見る→字幕部分スクショ→Google翻訳を繰り返していたせいか、中国語で夢まで見た。(かなりデタラメな中国語なのだろうが。)
中国選手のインタビュー、普段から練習されているのかと思うくらい、試合直後という状態からの一発勝負の中でよくこんなロジカルに喋ることができるな、と。自分を客観視して、見ている側に伝わるよう言葉にすることが上手な人が多い印象。

男女の選手2人が中国人歌手の歌をYouTubeの企画内でカバーして(させられて)いる動画を見たらその歌にハマっちゃって、ついでに色々中国語の歌も聴いている。中国人歌手の歌も聴くが、日本語の歌が中国語にカバーされているものがいくつもあって興味深い。大事MANブラザーズバンドの「それが大事」も中国語と広東語バージョンが発表されていて、音楽番組の締めでゲスト全員で合唱している動画が元気出る。あと中国の女性歌手が美人すぎてびっくりした。でも、歌詞の内容がかなり違う。中国語、広東語バージョンもいい歌詞なのだが、私は本家の「高価な墓石を建てるより安くても生きてる方が素晴らしい」という歌詞が特に好きだ。

 

去年の冬にスマホをiPhoneSE2からiPhone14proに替えた。私はこれまで5S→8→SE2と10年ほどやや小さいサイズのiPhoneを使ってきたため、この6.1インチのiPhoneはもはや小さめのタブレットといっても過言ではない。あと重い。240g。

重度のスマホ依存なのでずっと持っていると手が疲れる。カメラは綺麗なので良いのだが…。

9/15

夏が終わった。半袖一枚ではさすがに寒い。もう昼でもお風呂上がりでも扇風機はいらないから、ぼちぼちカバーをかけてしまうべきかもしれない。

6月頭にまたウィーンに帰ってきた。色々あって躊躇していた公園卓球も無事再開できて、Tシャツパーカージーパンスニーカー、いつものトートバッグで路面電車に乗る。公園に着いたらみんなに挨拶をする。四角い小さなブランド物のバッグも、シルバーのピアスも、小綺麗なワンピースもピンクのアイシャドウも長いアイラインもこの場ではいらない。ただ頭を空っぽにして右腕を振ることだけを考えれば良いから。

今日は少し早めに帰路に着いた。まだ20時なのに日が暮れて、風が吹いているから少し寒い。路面電車を待っている時にふと考えた。今年もこの季節を乗り越えられるだろうかということを。秋になると真っ先にカネコアヤノを流すのに、今年は多分できない。彼女の声は、暴力的なまでに私の体に入ってきてしまう。ので、関取花にした。高音が気持ちよく伸びる。サンセットのせいにしよう、という言葉は良いなと思った。

秋や冬は無条件に胸が苦しくなるし、食欲も減り、音楽はやたら感傷的に聴こえて、太陽が落ちるのも早くてもの寂しい。家と公園を往復する日々も2年目になる。公園行ったらみんながいて、バカみたいに平和すぎるな、と感じざるを得ない。変わらないメンバーもいるし、新しく知り合った人もいる。ほとんどの場合女の子は私1人で、アジア人なんて私含めて3人しかいないのにも関わらず。この日々がいつまでも続いて欲しいのに、それができないことを知っている。変わっていくことも、変わらないことも苦しい。

秋や冬といった季節には、あまりにも色々な思い出が詰まりすぎている。初めてここにきた年からそうだ。大きな出来事はいつも秋や冬に起きた。特にこの2年は自分の人生に左右されるようなことがいっぱいあった。なんだか、今年はこの季節を乗り越えられる気がしない。もうダメだという気持ちにばかりなってしまう。ただ今を生きたいだけなのに、どうしていつも振り返ってばかりいるのだろう。どうしていつも見えない先のことばかり憂てしまうのだろうか。ただ1日1日を大事に過ごしたいし、大切な人に誠実でありたい。

2/18

暇な時は大抵昔のことについて考えている。あの頃の自分はどう思っていたとか、あの頃はこんな状況だったなとか、こんな人が周りにいたなとか、天気とか。去年、平日の真昼間に卓球してる公園で知り合ったおじいちゃんの家で飲んだ15年もののブランデーの味が忘れられない。おじいちゃんはタバコは吸わないがヤク中で、モルヒネ注射をよくしているらしい。パワーが漲るとかなんとか教えてくれたような気がする。2021年の5月はまだコートや分厚いダウンが必要なくらいには寒い時だった。私を含めて3人でおじいちゃんの家に向かった。バスで15分くらいのところにある、黄色い壁の集合住宅だった。周りは交差点でケバブ屋やドラストやスーパーやピザ屋があった。多分女の子だからという理由で、私にだけスリッパを用意してくれた。私たち3人は大きさも形もバラバラな椅子に座った。Herzlich willkommen in meinem Palast(ようこそ私の宮殿へ)と言ったおじいちゃんの部屋は狭くて、十数年も前の新聞や半分に割れた木のテーブルやCDなんかが山積みに置いてあってごちゃごちゃしていた。上にはセルビアのマフィアが住んでるとか。犬の写真や兵隊だった頃の写真や10代の頃に卓球していた写真を見せてもらった。30年40年前に流行していたような白の裾広がりのフレアパンツを履いて、ラケットを持っているおじいちゃんの写真を。おじいちゃんは私たちに色々くれた。ビールジョッキにボールペン、瓶詰めのシナモンのスティックなんかを。私たちはピザを食べてブランデーやビールやウォッカをたらふく飲んだ。バルカン半島のどっかの国のマフィアにもらったというブランデーをおじいちゃんは15年開封していなかったのに、私たちに飲ませてくれた。プラムが入ってるらしく、キツいアルコールの中に広がる甘い香りを覚えている。おじいちゃんはなんかのブランデーにレッドブルを混ぜて飲んでいた。そのあとはみんなで卓球をして帰った。その後も私には色々あったのだけれどそれは何も今書くことではないので割愛する。

後から分かった事だが、おじいちゃんはゲイで、私の当時の彼氏のことが好きだった。3人でおじいちゃんの家に行った時とは別の日に、家に1人で来いと言われて、告白されたらしい。確かおじいちゃんの宗教的な理由で、同性愛は禁忌だった。だからおじいちゃんは奥さんも息子もいる。ずっと隠してきたのだろうか?でもその後おじいちゃんは気が狂って、今はもう公園にも来なくなってしまった。その頃に4人で撮った写真を見ると、今は少し寂しい。

大森靖子さんが大好きで、暇さえあればずっと聴いている。たまに悪い面を晒されて、あんまり知らない人からは怖い人って思われることも多いかもしれないけど、とっってもお茶目で愛に溢れていて恥ずかしがり屋で大胆で本当は自分で自分を1番愛したくて愛せなくて自分で自分を肯定できなくて苦しんでいる姿や美しくなろうとあがいてもがいてる姿が本当に美しい。あとはみんなが持っている醜くてドロドロで消してしまいたいような誰にも見られたくないような心の奥底にしまって忘れていたいような心、あの頃の黒歴史、こうしたいのにこうしたくない、どっちもしたい、どっちもしたくない、こうしたいのに出来ない、という矛盾をした心をそのまんま持っていていいんだよと囁いてくれるような言葉選び。みんなが心の中に抱えていた言葉にできない、したくもない感情を躊躇なく言葉にして引きずり出してくれるところ。この人の歌を聴いていると、いつも色んなことが頭の中に浮かぶ。昔の恋人、今の好きな人、嫌いだった人、仲良くなってみたかった人、自分から離れていってしまった人、自分に近づいてくれた人。あの日の朝も昼も夜も、晴れの日も雨の日もいつもこの人の歌と共に生きてきた。あぁ、この歌はまるで私のことを歌っているようだ…!と、大森靖子さんを好きな人ならみんな1回は思ったことがあると思う。心のド真ん中に刺さる言葉使い。まるで一度刺さったら最後抜けない刃物のようなのに流れる血はどうしようもなく温かくて優しい。そして誰に何と思われても、自分の伝えたいことを1000%伝える為に、伝え方に決して妥協しないところ。いつも全身全霊で命削って曲書いてくれて歌って表現してしてくれるところ。私が人生の大事な局面に立った時、頭にはいつも貴女の歌がある。辛くて死にたくなることばかりだけど、大森靖子さんの曲が聴けるのならもう少し生きていたい。もしも死んで、彼女の曲が聴けなくなるならそれは少し寂しいことのように思う。

1/31

1月も終わる。時間が経つのって速いな。きっとこれからもそう。あの時のこともあの時のことも、その瞬間では自分の全てかのように支配されていたのに、いつの間にかとても遠い過去のことになって、そのうち思い出すこともなくなって、まるでなかったかのようになっていくのだろうか。