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ドレスは脱ぎ捨てた

更新はまちまち。

12/12

終わるくらいなら始まりたくないと何度思い直しても衝動に抗えず始めては終わり、始めては終わりを繰り返した2021年。楽しい日々の裏でいつ来るかも分からない終わりに怯えて号泣する準備をしている矛盾と虚無を抱えながら。誰かに壊されるくらいなら自分で壊した方がマシだし、分かってもらえないのなら誰にも言いたくないしまず誰かに分かってもらいたいと思ったことなんてない。言葉の限りを尽くしても理解されないと苦しいのに、気持ち分かるよ、と言われたら分かられてたまるか、なんて思ってしまう。信じたいのに、誰のことも信じたくない。昔は丈の長いスカートなんて死んでも履くもんかと思っていた。恋をするのがいつも冬なのは、きっと寒さのせいなのだろう。寒い冬の時期こそ、人間の内に秘めた熱意が溢れるのだと思う。最初と最後だけ優しいなんて、そんなの優しい人じゃないよ、それなら途中もちゃんと優しい人でいて欲しかったよ。準備していた言葉の半分も実際に口に出せたことなんてない。何かを終わらせる時も始める時も、そんなに多くの言葉は必要ない。言い過ぎない方が良いと思うからだ。思い出に変わった途端、驚くべき速さで、全然良くなかったことまでまるで良かったことのように記憶が塗り替えられて美化されてしまうのは何故なのだろう、それはとても怖いと思う。それでも何かを始める勇気を捨てずに、これまでの日々を自分の重りや足枷や言い訳になんかにせずに。ああ、どこか遠いところへ行こう。世界の果てみたいな場所へ。連れて行って欲しいし、連れて行きたい。その気になればどこへでも行けそうな気持ちを大事にしたい。

11/29

もう11月も終わるんだな、とふと思いながら、浅い湯船に肩まで浸かろうと深く沈み込んだ。今年は色々なことがあったが、それら全てがもっと遠い過去のことのようであるし、まるで昨日のことのように最近のようでもある。何回も後悔したり反省したり迷ったりしたけれど、たったひとつでも、あぁ、あの時こうしてよかったな、と思えることがあるのならばとりあえずはそれで良い気がする。

この前、読書記録アプリを見たら今年中に読んだ本は10冊くらいだった。本を読む精神的な余裕がなかったし、あまり1人で過ごす時間もなかったためだと思う。それと、以前読んだ本を繰り返して2度3度と読むことが多かった。新しい本を開く時は、ワクワクするが少し怖い。今年はなんだか、ずっと安心を求めていた。安心できる場所、安心できる物。安心できる人を。常にぐらぐらと不安定な日常の中で、寄りかかれるものを。知っている本を読んでいる時は、安心と限りなく似ている感情にあったと思う。感情の起伏が激しいと疲れるが、それでもやっぱり何もないよりはマシな気がする。今年はまだ残り32日あるし、年末の休みでもう少し読めれば良いな。年末年始は久しぶりに日本で過ごすことにしたからそれが今は楽しみ。

11/1

語学学校が好きだった。出身国も年齢も職業も目的も違うそれぞれの人たちがドイツ語を学ぶためだけに偶然同じ所に集められたあの場所。

ある日の休憩時間、1人の男の人が自分の妻、と言おうとした時に自分の夫、と言い間違えた時に、みんな言い間違えに気付いて、本人もあぁ夫じゃなくて妻だった、と訂正して。それでもなお、男性が男性と結婚するのはおかしいことじゃないよね、と言っていた。語学学校が好きだった。

10/29

起きた。ワンピースに着替えて軽く顔を洗ってコンタクトを着ける。イヤホンを耳に押し込んで庭に出る。このワンピースは2年前の誕生日に買ってもらった。フランネル素材の冬物だが脚が出てるし上着を着てないから風が吹くと冷たくて寒い。カネコアヤノのEP「さよーならあなた」はよく晴れた10月には少しばかり残酷だがすり減ったこの心を優しく丸く満たしてくれる。全てのことは流れていく。どんな状況に陥っても、過ごした日々は失わない。いなくなるわけじゃない、元の場所に戻るだけだ、と思う。人生の合間に少し寄り道しただけ。あの時間は本物だった、と思えられればいい。だけど今はちょっと疲れちゃったんだ〜。

10/27

傷つくのはもうやめたい。傷ついてばかりだった。人に優しくできる自分に優しくなりたい。もし自分の友達が同じ状況だったら?絶対こうした方がいいよ、って言ってるしみんな私にそう言ってくれてる。誰かの付属品としてじゃなくて、私を私として見てくれる人がいる場所に行きたい、そういう場所で生きていきたい。嘘や表面だけの言葉や態度を受け取ったって意味がない。最初と最後だけ優しいなら途中も優しい人であって欲しかったよそんなの優しい人じゃないよ。どちらかが一方的に話すんじゃなくてちゃんと会話ができる人と一緒にいたい。楽しい時だけじゃなくて明るい気持ちになれない時もそれを隠さないでいられる人がいい。このままじゃダメだって分かっていながら目を背けてきたずっと。気付いてないフリしてきたし傷ついてないフリしてきた。どうせ結果は同じなんだから今じゃなくても、なんて避けてきた。でももうそれも終わりにしたい。期待するのはやめたいし理想も希望も捨てたい。こんなくだらないことに時間も心もこれ以上使うなんてうんざりなの進みたいの。昔は痛い目見れば見るほど性格が歪んで普通のひとから遠のいて目つきも悪くなって自分が嫌な人間になっていくような気がして怖かったけど、そうやって段々に傷つかないような術を覚えて自衛できるようになっていくんだね、痛い目見て反省していけば良いんだって。後悔って悪いことだと思ってたけど、別にいいじゃん、同じ間違いを繰り返さないようになるよって友達が言ってくれたんだ。後悔が少しずつ積み重なったら、後悔しないように選べるようになるかな。次はもっと上手くやれるようになるかな。

9/19 angewöhnen

日本からウィーンに戻ってからの2週間で、それまでの自分の気持ちが大きく変動するような出来事があった。もっと言えばここ1ヶ月くらいそうだったかも知れない。

最近は少しずつだが物を捨てるようにしている。住み始めて4年目になるこの家には、色々な手続きを行った最初の頃に捨てて良いのか分からずに残しておいたものや、いらないはずなのになんとなく放置していたものも多い。来た当初に浮かれて買った余計なものも。

春に忙しくなってから心の余裕という余裕が消えて、片付けも掃除も洗濯も食器洗いもままならない状態だった。それでこの夏にウィーンから日本に帰る時、どうせすぐまた戻って来るんだし、とほとんど物を出しっぱなしにしていたが秋に帰って部屋に入った時、とてもじゃないが気分の良いものではなく後悔したので、片付けも苦手だけれどちょっとずつ進めている。

なんとなくそう遠くないうちに自分がウィーンから日本に帰る気がしている。これからもきっと物だけじゃなくて場所とか、関係とか、色々なものを捨てていかなくてはいけないだろうが、そのどれにも、ちゃんと慣れることができるだろうか。