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ドレスは脱ぎ捨てた

更新はまちまち。

9/15

夏が終わった。半袖一枚ではさすがに寒い。もう昼でもお風呂上がりでも扇風機はいらないから、ぼちぼちカバーをかけてしまうべきかもしれない。

6月頭にまたウィーンに帰ってきた。色々あって躊躇していた公園卓球も無事再開できて、Tシャツパーカージーパンスニーカー、いつものトートバッグで路面電車に乗る。公園に着いたらみんなに挨拶をする。四角い小さなブランド物のバッグも、シルバーのピアスも、小綺麗なワンピースもピンクのアイシャドウも長いアイラインもこの場ではいらない。ただ頭を空っぽにして右腕を振ることだけを考えれば良いから。

今日は少し早めに帰路に着いた。まだ20時なのに日が暮れて、風が吹いているから少し寒い。路面電車を待っている時にふと考えた。今年もこの季節を乗り越えられるだろうかということを。秋になると真っ先にカネコアヤノを流すのに、今年は多分できない。彼女の声は、暴力的なまでに私の体に入ってきてしまう。ので、関取花にした。高音が気持ちよく伸びる。サンセットのせいにしよう、という言葉は良いなと思った。

秋や冬は無条件に胸が苦しくなるし、食欲も減り、音楽はやたら感傷的に聴こえて、太陽が落ちるのも早くてもの寂しい。家と公園を往復する日々も2年目になる。公園行ったらみんながいて、バカみたいに平和すぎるな、と感じざるを得ない。変わらないメンバーもいるし、新しく知り合った人もいる。ほとんどの場合女の子は私1人で、アジア人なんて私含めて3人しかいないのにも関わらず。この日々がいつまでも続いて欲しいのに、それができないことを知っている。変わっていくことも、変わらないことも苦しい。

秋や冬といった季節には、あまりにも色々な思い出が詰まりすぎている。初めてここにきた年からそうだ。大きな出来事はいつも秋や冬に起きた。特にこの2年は自分の人生に左右されるようなことがいっぱいあった。なんだか、今年はこの季節を乗り越えられる気がしない。もうダメだという気持ちにばかりなってしまう。ただ今を生きたいだけなのに、どうしていつも振り返ってばかりいるのだろう。どうしていつも見えない先のことばかり憂てしまうのだろうか。ただ1日1日を大事に過ごしたいし、大切な人に誠実でありたい。