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ドレスは脱ぎ捨てた

更新はまちまち。

5/8

4時半に目が覚めて、二度寝しながら8時になるのを待って、夏の演奏会で弾くモーツァルトのピアノコンチェルトを通しで弾いて(毎朝寝起きに1回通す、というのは4月から習慣にしている。今日は8時より少し前に目が覚めてしまったので、寝起きと言って良いのかはわからない)溜まっていた洗い物と汚れたキッチンの掃除をした。外は快晴、風が少し吹いていて気温もやや低い。
いつからだろう、晴れの日を好きと思えなくなったのは。眩しい朝の光で目が覚めるより、雨の音がする暗い部屋で目が覚める方が好きになってしまったのは。
暖かいのは好きだけれど、晴れていると、自分のいつも少し憂鬱な気持ちに相反するようで、余計に鬱屈としてしまう。雨や曇りの日の方が気持ちを落ち着かせてくれるし安心する。
昔はそんなことなかった。ただ純粋に晴れていると嬉しかったし、雨の日だと同じようにどんよりした気持ちになっていた。そういえば私、小学1年生の頃は真っ赤な苺の柄の傘をさしていた。
でもなんだか、このままじゃだめだ!って気になって、今日だって色々やりたいことあるし、このまま塞ぎ込んでるのは良くない、と思い、洗い物もして少し気分が良かったから、家の横の大通りに散歩に向かった。太陽の光が、道をきらきらと照らしていた。8時半。まだ人は少ないが、私と同じように散歩している人が何人もいる。スマホも持たずに、ただ歩いた。いつか、きっと来るであろう近い未来のことを考えた。そこには絶望しかない。今近くにあるものが遠くに行ってしまうのは怖い。利害の一致しない関係ってなんだかとても虚しくて寂しい。なんで最初の頃の気持ちがずっと続いてはくれないんだろう。あーあー、また考えても意味のないことばかりぐるぐると。一旦やめようと思ってタバコに火をつけた。2週間前くらいに買ったライターをもう2つともなくしてしまったのでタバコ屋で新しいのを買った。フリントタイプのライターは指が痛くなるから苦手だなとか考えたりしながら道を進んだ。ウィーンに来てもうすぐ3年になるけれど、この大通りは、あまりにも色々な記憶が詰まっている。大抵誰かと散歩していた記憶なのだけれど。そういえばどこか行きたい場所があるわけでもないし、どこまで行けばいいんだろう。あんまり疲れるのも困るしな、と思い、大通りの中間地点あたりにある教会まで着いたら引き返すことにした。手前に、オーストリア出身の有名な作曲家の像がある教会。朝市のようなものがやっていて、ゴーダチーズを味見させてもらったらすごく美味しかったが、使い方がわからないので買うのは諦めた。道を戻って家に向かう途中で、やっぱり買って普通に酒の当てにすれば良かったと思った。まあいいや次行った時にはそうしよう。通勤時間なのか道を歩く人の中でスーツやフォーマルな服装の人が多くなってきた。最後に家の前のスーパーでアイスとビールを買って帰った。