遠藤周作が原作を書いた映画「沈黙」を観た時の事を思い出す。
江戸時代、激しいキリシタン弾圧が行われた長崎を舞台にした作品で、作中の宣教師や神父役の人の中には実在した人もいた。朝の日の光を浴びながらミサを受けられる今とは違って、夜中にこそこそと集まってミサや洗礼をしていた時代。お役人に見つからないように隠れながら必死に生きてきた時代。そういえば、どうしてカトリックの女子校は山や坂の上にある学校が多いのか。昔は山の上に教会を建ててこっそりとお祈りをしていたからだと、小学生の頃通っていた塾の先生が教えてくれた。
ショッキングな拷問や処刑のシーンが多くて、なんだか呼吸の一つや瞬きの一つすら邪魔なように思えた。キリスト教と日常があまりにも近いこのヨーロッパにいる中で、目を逸らすとか、逃げることなんてできない。
観終わってから、愛するものや守りたいもののために何を捨てることができるのか、自分自身に問いたくなった。命を失ってでも貫きたいような信念。ひとつのなにかを熱狂的に愛することの大変さや、愛せることがこんなにも尊いのだと。