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ドレスは脱ぎ捨てた

更新はまちまち。

2/15 損得勘定の優しさ

爆弾の雨が降る戦場で強くなってる暇はない。撤退するんだよ。これは作戦だ。

ってツイートがある。大好きな人の言葉。

それでもって何が爆弾で何が試練なのかは他人には分からないので神様は乗り越えられない試練を与えないとかは、自分がそう思うことによって頑張ろうとすることができるのならば自分のためだけに使って、他人には言わない方がいいと思う。その人を見てその人のことを想って言葉を作っているんじゃなくて、ただ自分が思いついた良いことみたいな言葉を良い放った挙句に良いこと言って人を助けた気になってる人間を見ると、あるいは自分がその当事者になると、いやちげーーーよ!ってぶん殴りたくなる。見当はずれなアドバイスや励ましは傷つく。

 

以前はそういう見当はずれなこと言われるといやそうじゃないんだ、こうなんだ、って弁解したくなっていたけれども、今度は逆に、私のことちゃんと見てくれている人は分かってくれるし分かろうとしてくれているからあなたには分かってもらわなくてもいいや、なんて思うようになってきた。

 

人生に必要なものが手に入っていない、或いは手に入る目処のない、そういった余裕のない人間から繰り出される、優しくした方が得だからってところからくる本心じゃない優しさとか、こうすれば(こう言えば)喜ぶんでしょ?って気持ちが見え透いてる優しさに触れると心が冷めたりそんな無理しなくていいよと思う。損得勘定の優しさって分かりやすい。

でも本心の優しさに触れると心が温かくなって満たされるし、どうしようもなく泣きたくなるくらい心が動かされる時がある。

 

とかなんとか書いていたら、1番大好きな女友達から頭のおかしい友達の話のラインが来たんだけれど、3回読み返しても訳がわからなかった。びっくりするような人間ってどの年代にもどの所にも存在しているものだかあ。

 

ラインの内容は、その頭の中おかしい友達の弱さや怠惰を自分のせいにされている、というものと、常に嫌味を言ってくる、というものなんだけれど、自分のダメなところを他人に押し付けるのは本当に頭がおかしいと思う。というか自分の弱いところとかダメなところって、自分が認めなくて誰が認めてくれるの?誰も受け入れてくれないから自分が受け入れて、私はこんなだけどまぁいっかって認めて善処するものなんじゃないの?それを僅かな誰かが偶然、受け入れたり認めてくれることがあれば万々歳だ。でもそうじゃない人間に対して、私がこうなのはあなたがこうだから!云々!は、本当に意味が分からない。自分の弱さや怠惰が招いた結果を、他人のせいにできる図々しさや傲慢さ。自分を過信している。

嫌味を言ってくるという内容に対しては、自分が1番だと思っていたりそう思いたいけど、確信を持てるようなことがなくてどこか自信がないんだろうなと思う。そもそも確信を持てるようなことが何もないのに自信だけ持っているのもおかしな話だ。根拠のない自信を持っていてもいいけれど、根拠のない自信を持っていることに対して自信がないから他人を落とすとか、優位になりたいけどそうなれない苛立ち、滑稽に見える。そういうのって、他人にぶつけてもやっぱり他人は受け入れてくれない。だから自分で認めて受け入れることが1番の救いでしょ。自分は弱くても怠惰でも可愛いんだもの。

 

私も大概頭おかしいけど、他人に自分の頭のおかしさを撒き散らすのは嫌だなー、

頭おかしいなりに謙虚に生きたい。

2/12 時間

今日は約7ヶ月ぶりの銀座で、歯医者に来た。銀座は東京の中でも特に好きな街だ。歯医者は毎回のことながら検診のみの数分で終わったのでその後GINZA SIXの蔦屋に行ってハインリヒ・ハイネの詩集、ヒットラーが現代にウッカリ現れてしまったけれどもそれがヒットラーのモノマネをしている人と勘違いされて現代人にもみくちゃにされるというあらすじの小説や切なく震える純愛ミステリー、と書かれた知らない作家の小説、純喫茶が紹介されている本、ピカソなどの芸術家が愛したスイーツ、ウィスキーのアレンジレシピ、の6冊を購入した。

小説を読んでいる時は嫌なことを考えなくていいし、他人に怯えることもないし、見たくないものを見ることもなければ聞きたくないことが耳に入って来ることも、まずない。

1番好きな小説なんかは1、2日に1回開く。でも1、2日に1回開くと決めているわけではなくて、無意識にそれを読みたくなってしまう。

今は1日のほとんどを読書に費やしていると思う。あまり長く眠れないし、欲しいものも本以外ないし、食欲もないため最近は家で何を食べたかの記憶が薄い。

こういうのを現実逃避というのだろうか?上等だ。私が何もしなくても、私に都合の悪い事実や悲しいこと、怒れることはあっちからどんどんやって来るのだから私はそれに潰されないように逃げるべきだから。その権利がある。

1月の2週目からインフルエンザにかかり、その後副鼻腔炎になり約3週間死体ごっこ状態になってから、今月に入ってやっと回復したと思ったら今度は私のメンタルをことごとく削っていくような出来事が重なったりそんな言動をする人間がいたりして。あぁ、心身共に死んだように生きている。

人生という膨大な時間という暴力、或いは恐怖。何の為に、起きて、ご飯を食べて、携帯を開いたり、落ち込んだり、電車の中で1人で泣いたり、或いは何の為に生きているのかも、今はよく分からないけれど明日も明後日も読む小説があるから今はとりあえず生きていてもいいし、起きられるし、ご飯も食べられる。偶には出掛けても良いと思う。小説を買う為に。

 

「「同意なしに自分を生んだ」という理由で、インド・ムンバイに住む27歳の男性が両親を告訴しようとしている。」という記事を先日に読んだ。反出生主義者というのか、私はこれに近い考えを持っている節もある。生きていれば確かに、もう死んでもいいと思うくらい幸せだと感じる瞬間があったり、胸が震える素晴らしいものにも出会うし、天国のような夕焼けを見るとか、そういうことがある。ふいに顔を上げたとき空があまりに青いことに気がついたり、さそり座の一等星は爆発寸前だから赤いのだとか、覚えたり。

子供が全く欲しくない訳ではなくたとえばこの先のパートナー次第では子供を持っても良いとは思うけれど、私が生んでしまった為に多かれ少なかれ、大なり小なり辛い目にあったり悲しい目にあったりしなければならないなんて、それはかわいそうだ。

悲しむ私を見て悲しむ母を見ているとそう思う。母は私を産まなければ自分の子供が悲しむことはなかったし、それを見て母自身が悲しむこともなかったのに。

 

まぁ、そんなことはいい。そうだ、小説の話に戻ろう。今日は森茉莉の甘い蜜の部屋、という500ページもないけれど紙が分厚いから1600ページくらい厚さがあるように見える小説を鞄に入れて、移動中に読み進めた。重さは気にしない。これは昨日から読み始めたもので、私は純文学の文体が難しいと思うし苦手で最後まで読めた記憶がほとんどないのだけれど、彼女の文章は比較的読みやすいと感じるから時間がかかっても読み切りたい。

 

前述したように食欲がないのでお昼ご飯を食べたら夜はもう食べないことが多かったが、今日はお昼過ぎから出かけて、あれこれ見ていたら夜になったのでそのまま銀座で夜ご飯を食べた。鶏肉を扱っているお店でお鍋や焼き鳥を注文して、日本酒を一合と梅酒を飲んだ。日本酒はだいたいどこも一合で注文するというか、最低の量が一合なことが多い。私はそれを1人で飲むのでさすがに日本酒を飲んだ後はいつも軽く酔う。母は日本酒を飲まない。ウィスキーや焼酎も。母はワインとビールが好きだ。

このご飯屋のほぼ目の前にYAMAHAの本店があるから、まだ営業時間内だし寄って楽譜でも買おうかと思ったら今日は定休日だった。楽譜はネットで買うことにしよう。

それから隣の家の人に、明日うちにお茶しに来ない?と誘ってもらったのでそれ用の手土産を探す為に銀座三越に来て、最初は地下2階をウロウロと探し回ったけれどバレンタインという時期柄か混んでいて身動きを取るのが大変だった上にとくにこれというものも見つからず。結局3階にあるLADUREEに行ってマカロンにしようと決めた。ついでに併設されてるカフェにも寄ってケーキとロイヤルミルクティーを頼んだ。私はたまらなく幸福になる。外は絶えることなく人間や車が行き交っている。やっぱり、銀座は好きな街だ。

1人でかかえるなんて無理だ!!どうにかなってしまう!!という事態に直面した時、素直に今こういうことがあって辛い!悲しい!と人に言えるようになったことや、元気?とか大丈夫?と聞かれた時に元気じゃない、大丈夫じゃないと言えるようになったことに自身の成長を感じるし、私のそんな回答を許してくれると私は知っていて、さらには励ましてくれたり適切なアドバイスをくれるような人々が周りにいること。ご飯やケーキを食べに行こうと誘える友達もいること。きっと、たまらなく満ちたりている。別にご飯もケーキも食べなくてよくて、公園のベンチとかで2人で座っているだけでも満ちたりるのだけれど。

事情がわかんないときに、ついつい悪い方に考えがちだけど、 心配する時間が 辛いから 前向きに考えるようにしてる!

そういう時こそ 自分磨き!

人は変えられない。自分が なりたい自分になっていれば 私は ま いっかって思う

交友関係に悩む私へ、おばがかけてくれた言葉を反芻して、私は足の爪にCHANELのヴェルニ ロング トゥニュ 588を塗った。

2/3 思考

何かについて考えていた気もするが何について考えていたか忘れたなー。

今日は6時間くらい寝た。浅い眠りだったから現実に近いけど不可思議な夢を見た、昔にあった全く違う2つの出来事が混ざり合うような。

今日は10時からピアノで9時13分に起きて、手短に準備を済ませる。

毎日同じようなことばかり考えている。何時になったらピアノ弾こうとか、これはドイツ語でなんて書くのかとか、友達と遊ぶ約束とか。

読みたい本のこと、読んだ本のこと、お風呂から上がったらあの曲を流そうかなとか。大体お風呂を上がる頃には忘れてしまって流すことがないんだけれど。最近読んだ本が昔ドラマで観たものの原作で驚いた。ウィーンのこととか。Googleマップでよくウィーンを眺めている。

髪の毛が伸びて微妙な長さで切りたいし夏に染めた色も落ちてきたから染め直したい。いつものお店でいつもの人を指名してカットとカラーを予約した。

私の脳みそは常に何か考えていないと落ち着かないようだけど、考えることなんてそんなに多くはないからやっぱり毎日繰り返し同じことを考えている。ただ、ピアノを弾いてる時は目の前の音符のことくらいしか考えていない。読書している時も、目の前の文章のことくらいしか考えていない。この2つをしている時はなかなか脳がクリアになっているし、気がつくと時間が経っていることが多い。

 

人生に対するやる気がめっちゃなさすぎて困ったなあ、なんて思っていたらピアノの先生がシナモンのたくさん入った温かいミルクティーを出してくれた。(長い靴下を履いていたが、)ショートパンツでレッスンに来た私に見兼ねたらしい。ちょっと泣きたくなった。

1/15 渋谷

起きたら喉が痛かった

暖房をつけたまま寝ていたから乾燥したのだろうか。それとも友達が私と遊んだ2日後にインフルエンザと診断されていたから移ったのだろうか。でも熱はない。昨日は16時頃から18時半まで仮眠をしていたから夜に眠れるか不安だったが疲れていたのと体調が悪かったのもあり0時過ぎには眠った。

湯船にお湯を張って、先に髪の毛と身体を洗って肩までバスタブに浸かる。外は曇っていて、薄暗い。11時半。灰色に満ちているバスルーム。

お風呂から上がり髪の毛を乾かしたらバターを塗ったライ麦のパンに目玉焼きとチーズを乗せてトーストして食べた。それから鮭を焼いて、白菜とわかめで味噌汁も作って飲んだ。

昼過ぎから出掛けるというのに雨が降ってきてしまって、雨の中出るのかあ、と思ったけれど私が家を出る頃には止んで、雲も見当たらないくらい晴れていた。だいぶ日本の寒さに慣れてしまったと思っていたが外に出るとまだ暖かく感じることができて良かった。最初日本に降り立った時、本当に暖かくて春かと思った。ウィーンは1月になって、12月よりさらに冷えたり、吹雪いたりしているらしい。Lidiaさんが、Whats appでウィーンの吹雪いている様子を写真で送ってくれた。

最寄り駅のホームに立ち携帯にイヤホンをさして、BrahmsのViolin Concerto Op.77を流す。最近クラシックを聴く時はピアノソロよりもヴァイオリンやらビオラやらチェロやらが入っているConcertoやSonataを聴いている。運良く1つ席が空いていて座れたので、家を出る直前で鞄に突っ込んだ江國香織冷静と情熱のあいだ を昨日やめた途中のページから開いた。福岡に住んでいる友達が私の帰国に合わせて誕生日プレゼントとして6冊の本と麻で出来たブックカバーを贈ってくれた。この本はそのうちの1つ。

横浜駅に着いて、東海道線から東横線へ乗り換える為に階段を降りていた。ポケットに手を入れようとしたが今着ている灰色のコートにはポケットがない。ホームに着いて電車を待っていたら流していた曲が終わったので今度は同じ作曲家のピアノ五重奏をかけている。待ち合わせをしている友達に16時39分に渋谷駅に着くとLINEをした。私達はいわゆる悪友のようなものだ。会うと大抵話が下衆なものになる。それが新宿の地下1階の純喫茶でも、銀座の白にまみれたモンブランが美味しいカフェでも。

鞄からリップクリームを取り出して数回繰り出してから、下唇と上唇に数回ずつ塗ったあと、Diorのリップマキシマイザーを重ねて塗った。日本の冬は乾燥しているから。色々なクリームが必要になる。

1/1、1/2 日本

朝5時過ぎ、寝ている母に海に行くと告げ(もちろん返事は来ないが)玄関を出た。荒井由実ルージュの伝言を聴きながら。飛行機が発つ前も聴いていた。約5ヶ月と半月ぶりの近所をきょろきょろと見て歩く。特に変わりはない、私の知っている道。数日前は私の歩く隣に友人がいたのに、今では時間の流れすら違うくらいに遠いところへ来ている。空港から家に帰るまでの車の中でもウィーンへ戻りたいと泣いた。すぐ戻れるよとみんな言うがそう簡単にはいかないだろう。

日本に帰国して7時間弱、私はまたこの日本に馴染んでしまった。最近はよく荒井由実を聴いている。途中で何人もの男の人の集団とすれ違った。やっぱりいつの時もどこの国でも男の人の集団は苦手だ。まぁ、得意な人なんていないか。星が見たいからわざわざ日の出の1時間半以上も前に来たというのに、今日は結構な曇りであまり見えない。三日月より少しばかり太った月。海まで来ると金星やさそり座の一等星くらいは見えた。後は時々雲の隙間から顔を覗かせる小さな星たちがかわいい。手持ち花火やらタバコやらで火遊びをしている若者たち、懐中電灯を照らしながら散歩している老人、自転車で駆けるおばさん、薄着で階段に腰掛ける17歳の女。海に着いたら今度はクラシックを聴き始めた。とりあえずはじめにモーツァルトのピアノコンチェルト23番の3楽章。モーツァルトの中でも特に大好きな曲。するとだんだん、真っ暗だった空に少しだけ色がつき始めた。ウィーン帰りの私からすると気温自体はそこまで低いわけでもなかったが、あんまり暖かくない格好で長い時間外にいたからさすがに身体が冷えてきてしまって、日の出が始まる頃には指一本動かすのもやっとだったほどかじかんでいた。コンビニでアイスや温かくなるものを買おうと思って千円札をポケットの中に入れておいたのに、冷えすぎてその気力すら湧かず数枚写真を撮ってから足早に帰った。その時トークをしていた何人かに送信して、8時になる少し前に寝た。私の部屋は遮光カーテンなので、朝日が昇っていても真っ暗。朝寝にも昼寝にも、もちろん夜寝るのにも向いている。起きたら日が暮れていて、来ていたLINEに返事をしてから母とコンビニに向い、アイスやアーモンドフィッシュやミックスナッツ(無塩のもの)を買って、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ニューイヤーコンサートを観ながら食べた。去年たくさん行ったMusikverein。見慣れたウィーンやオーストリアの風景も映像で流れてきた。コンサートに行きたくなったけれど、良いオーケストラはあるだろうか。それから日本のコンサートはチケット代が高いから悩みどころだ。交通費もかかる。

話が変わるが1/2になりややゆっくりめに起きてからアイスを食べみかんを食べ、家にあるコーヒーメーカーでいれたカプチーノがあまり美味しくなくて残念な気持ちになった。夜はヴァイオリンソナタを聴きながらハーブティーにはちみつを入れて飲んだりペディキュアの色を変えたりした。前は濃い青だったけれど今度はアイスグレーにしてみた。

日本に来たと言うとみんな、おかえりと言ってくれて喜んで予定を空けてくれる。ただ今回はそれが私の意思じゃなくて不本意にそうせざるを得なかったから、何か物足りないし1日でもはやくウィーンに戻りたい。そして次は自分の意思で日本に帰って、純粋に楽しみたい。

今日は年明け初友達とご飯。上野に行くので、私が上野東照宮にも行きたいと言ったら快くOKしてくれた。楽しみ、もう寝てちゃんと起きよう。

 

という投稿を1/2にしようとして忘れていた。

12/18 カステラ

起きた。携帯を見たら4:44だったから、多分起きたのは4:42か4:43くらいだろう。昨日はやたらと眠くて21時半より前にはベッドに入ったし、22時前後には眠ったと思うから、これくらいの時間に起きてもなんら不思議ではない。いつもならまた眠ろうとするところを立ち上がってトイレに行ったらお風呂に入りたくなったので湯船にお湯を張っている、それから文章を書きたくなったから約1週間ぶりにこうして日記を開いている。寝起きに豆乳を飲むのが日課だから、例によってさっきも豆乳を飲んできた。さて何について書こう。特に書きたいことがあるわけじゃなかったんだけれど。

土曜日にÖIFという所謂ドイツ語の検定のような試験があった。MarianaさんとLidiaさん以外の人は約1週間か2週間ぶりで、学校に着いてからみんなとハグしあって声を掛け合った。うちの学校はその試験の会場なので、うちの学校に通っている人以外もたくさんの人が来てた。16人もいた。あんまり自信ないけれど一応頑それなりには勉強したつもりだからなぁー。試験から解放されたと思ったら今度は結果を見るまで胃が痛い。今週中に学校に取りに行こうと思っているところ。これでほとんどの人とはもう本当に離れ離れなことを考えると寂しい。連絡先を交換すればよかったと思ってる人がいるけれど、まあ仕方ない。連絡が取れなくても良いんだ、大好きだから。

土曜日の夜に、日本で習ってるピアノの先生の旦那さん(ウィーンと日本を1ヶ月ごとに往復している)とご飯を食べたら、羽田空港で買ったというカステラを貰った!!カステラ、材料がシンプルで美味しいから好き。日曜日と月曜日に前に日本のピアノの先生からもらったこしあんと一緒に食べた。鏡餅を探してくれてたみたいなんだけれど、それはなかったようで。でもまあ、前に先生から貰った角切りのお餅があるからそれを食べようと思う。

この日は雪が積もっていた。帰ったら同じアパートの子から、彼女と彼女の同居人と(2人はシェアルームをしている)、私の3人で中庭で雪だるま作らない?と誘いがあったのでもちろん乗る。この間誕生日プレゼントをくれたぶりだ。2人が「私シックになってたー」と言ってくれて、嬉しかった。誰かに会いたがってもらえることは嬉しい。結果はすごくブサイクでゾンビのような雪だるまが出来上がった。本当によく笑った。あの日の動画を見ると本当に笑える。主に私がうるさい。中に戻ってから1人の子がShokoladeが飲みたいと言いだし、うちに粉があったので、牛乳と豆乳とそれを取りに部屋に戻り、2人の部屋にお邪魔させてもらって、深夜0時過ぎまで騒ぎ散らかして帰った。酔っ払いでもないのに同じことを何回も言ってしまったので反省している。酔っ払いでも良くないけれど。

きっともうお湯が一杯にたまっているだろうから今日はこの辺でとブログを切り上げて下着と洋服を用意して服を脱ごうとしたところで、先にお湯を止めた方が良いと思ってお風呂場に行ったら栓をちゃんと閉めていなくてお湯が全部流れていた。私はこういう風に計画が狂うことが少し苦手だ。この後本を読もうと思っていたから。それから少し眠くなってきた。今日は昼寝してしまうかもしれない。

12/9 無題

目が覚めた。いつから目が覚めていたのかはわからない。オフホワイトの天井が私を見つめていることに気がついたから。昨日20時くらいにコーヒーを飲んだからあまり深くは眠れなかった。薄っぺらなロールスクリーンと窓、それから私の部屋。遮られた外からは、昨日からずっと轟々たる爆音で風が吹いている。もちろんただ強いだけの風が、私の住んでいる築200年の元は宮殿を改装したアパートを吹き飛ばすなんてことなどあり得ない。私は安心して目をつぶって風の音を聞く。風の音は好きだ。外出予定のない日に部屋の中で強い風の音を聞いていると、自分は安全圏の中にいるのだと思う。そしてそこから出る必要もないのだと思える。
夢を見た。私に都合の良い夢。でも現実は私に都合悪い。こんなことは今までに何十回とあったし、きっとこれからも何千回とあるんだろう。残念に思いながらおもむろに立ち上がって部屋の中を意味もなくふらふらと巡回してから、ベッドにまた寝そべった。少し冷めて気持ち良い。でも眠るつもりはない、ただぼんやりしていたかった。だって日曜日だし、まだ11時だし。
手を伸ばして捕らえたのは他人の輪郭、ではなくただの空気。当たり前だ。だって今、手を伸ばした先に他人がいないから。こういうこと書いてるからといって他人にそばにいて欲しかったわけじゃない、でも、近くに誰かいそうな気がした。いや、もちろん幽霊とかじゃなくて。まだ夢を見ているのかもしれない。ううん、もうきちんと起きている。そのまま空気を撫でた。

月曜日から風邪を引いていた。体調はまあまあ。

友達がオススメしてくれた本を先週読んだのを思い出して簡単に感想を送った。ありきたりな言葉で。でも本心だよ、面白かった。昨日また読み返したもの。久しぶりにその人と会話したことも嬉しかった。
薄暗かった部屋がいきなり明るくなってびっくりした。きっと曇っていた空が晴れたのだろう。

起き上がって着替えて、髪の毛を巻いた。出掛ける用事はなくても、寝癖の髪の毛と前髪をダッカールで留めておでこを全開にしている私より、髪の毛を巻いて前髪を下ろしている時の私の方が愛せるからだ。自分の為に自分の身なりを整えるのは気持ちが良い。

そういえば突然に日本の家のことを思い出した。晴れた寒い日の午前10時頃、いや、9時だったかもしれない。寝起きで体温の低い身体をなんとか引きずって2階のリビングに上がり、カーテンを開けて窓際に座り込んで日向に当たって暖をとることが好きだった。太陽の光がリビングに差し込んで出来る模様を、この目でよく覚えている。
ジンクスを作るのが好きだ、いや、本当は好きじゃないしむしろやめたい。でも、つい、これがこうだからきっと良いことが起きる!とか、これがこうだから良くないことが起きるかも…と何かと理由をつけてしまう癖がある。喜びはともかく、理由のない悲しみというのは私にとって重くてつらくて、受け止めたくないし受け入れたくないし逃げたい。悲しみはいつも唐突で理不尽だと思う。だからどんなに些細でもいいから起きた悲しみに因果関係があれば、まだ、悲しみを受け入れられる。無理矢理納得させる為。
去年買ったワンピースが似合わなくなったことも、去年買った口紅が似合わなくなったことも、数ヶ月前まで毎日つけていた口紅を数週間ぶりにつけたら違和感を覚えたことも、数分前まで晴れていたのにたった今雨が降ってきたことも、

ひとりでベッドに寝転んでいると、自分のことが嫌になって、このままマットレスにでも溶けてなくなりたい、と思う時がよくある。牛乳とリキュールを割った寸胴のガラスのコップ。琥珀色の液体の中に滑り込みたくなる。

あー、生きてるって実感、したいね。例えば?23時に窓を開けて曇り空を見つめながら冷たい夜風に当たっている時。私のアパートの下を歩く背の高い黒人の男を見下ろす。彼らがこちらに気づくことはない。電気を消して暗くしたぬるい湯船の中に入って大声で歌を歌っている時。暗い部屋のソファの上で日記を打ち込んでいる今。0時、誰かの隣を歩いていた時。はしゃぎながら車に積もった水分の多い雪を友達に投げた時。外套についた雪を払いあった時。

音楽でも聴きながら、夜ご飯までソファに身体を沈めてまたぼんやりしていようと思う。今日はぼんやりしたり と ピアノ弾いたり の繰り返しでした。