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ドレスは脱ぎ捨てた

更新はまちまち。

10/27

オペラやリサイタルを数百円単位で観聴きできるのって日本にいた頃じゃ全然考えられない。

ピアノは今年で12年くらいやっていることになり、クラシックもそりゃ好きだけれど。

近所の同じ幼稚園に通っていた男の子のお母さんから紹介された徒歩3分のピアノ教室に通っていただけだったのに。父親が仕事に行った後の土曜日の午前に起きて布団の中でDSをつけてポケモンを開いて少しプレイしてから起き上がって、今度は楽譜を開いて数分さらってからピアノに出かけていただけだったのに。今となっては私の家からピアノの先生の家まで飛行機と車で12時間くらいかかるしDSは6歳下くらいの同じ門下の小学生の女の子にあげたし私は朝寝坊だし。

少し前まで自分を救ってくれる音楽はやっぱりバンドやシンガーソングライターが奏でるギターと歌がメインだと思っていた。

ロックは歌詞があって直接的過ぎる、クラシックくらいわかりにくくて間接的な方が良いと前に誰かが言っていた。

この半年でオーケストラやピアニスト、指揮者、あるいは作曲家というものは明確に私の救いになった。1年前の私からは考えられない。もう1人でも行き慣れたmusikverein。国立歌劇場で観るオペラはまだ友達と行きたいと思うし行く日はちょっと気合いを入れる。オペラを観るのはかなり体力を集中力を使うと思う。

でもmusikvereinで、あるいはkonzerthausで聴く救いの音楽は、むしろ1人でその空間にいるのが好き。

こちらにいる人たちは日本人より見知らぬ他人と話すことに慣れている気がする。私はもともと日本でもあまり抵抗がなかった。どうせその時その時の関係だし。そういうことはウィーンに来てからはより多くあるけれど、毎回自分の拙いドイツ語に申し訳なくなってしまう。でもうん、うん、って聞いてくれる隣の席の人のおかげでもっとドイツ語を勉強しようとも思える。別れてからいつも、名前を聞いたりFacebookを聞けば良かったと後悔するが、次の瞬間にはまあ、別にいっかと思う。

今日は隣が音大生で今日のプログラムの1つかつ私と同じ曲を練習している子で、その隣がIch liebe Musikと3回くらい言っていたおばさまだった。世界的な指揮者とオーケストラとピアニストがあわさった演奏に、何も言葉を出せなかった。過ぎ去る音を忘れまいと数秒前を反芻して、この素晴らしく幸せな空間に居ることしかできなかった。アンコールを終え拍手を終え満たされた気持ちでいたのに。

私は時々忘れてしまう、幸せの後には必ず何かショックなことがあるのだと。ただ逃げることしかできなかった。早く忘れたいのに、私は知っている、忘れたいと思うことこそが、忘れるに1番遠いこと。1番覚えていること。落ち込んだって命取られるわけじゃないけれど、死ぬ方がよっぽど良いのかもしれないと思うことだってあるんだわ。

なんて思った数分後、今度はまた会いたかったけれどLINEも名前も知らなかったあの子に会えて、あぁこの時ここにいてよかったと思った。上がって下がってまた上がった。と数行前の話をしたら彼女の旦那さんに交響曲みたいだねと言われて、私は交響曲が好きだからそれなら幾分か良く聞こえるので少し喜んだ。ちゃんと名前を聞いてLINEを交換してまた明日、一緒にリサイタルに行くのが楽しみ。

それでも1人になるとちょっと胸が痛くて、乗り換える駅の一駅前で降りて30分位歩いて帰った。今日が今年最後の気温20度台だったと思う。夜でも、薄手のコートを着てる私にちょうど良い気温だった。数十分前の強い衝撃に対して私は泣き出してしまうかと思ったが、実際は一粒の涙も出なかった。でも泣くとだんだん冷静になってきて、なんでこんなことで泣いているんだろうと思うようになり気も晴れるのに、泣けないということはそれもできない。泣けばスッキリすると分かっているときに泣けないのは、何より悲しいと思う。

久しぶりに日記を書きたいと思った理由がある。私はピアノのリサイタルを聴いてると、いつもCDやYouTubeで聴いてるピアニストが私の目の前で弾いているんだという事実になんとも言えない気持ちになる。この気持ちを心の中だけじゃなくて、目に見えるものしたかった。

簡単にいうと、宇宙を感じてしまう。CDの中から、再生している携帯の中から彼ら彼女らが飛び出してきたように思うのに、彼ら彼女らがここで演奏しているのを、私は客として僅かでもお金と時間を捧げて聴きに来たのだ。当日17時半の電車に乗ってチケット売り場に行って立ち見7ユーロで。彼ら彼女らも人間なのだ。演奏している人間の人生とか、ここの会場で演奏することになった経緯とか、どのように話が進んだのだろうとか考えてしまう。この日まで、何を食べてどのように練習して来たのか。なぜこのプラグラムなのか。本当にあの瞬間は宇宙だと思う。私がピアノを習っていなかったら、あるいは途中でやめていたら、私がウィーンに来ていなかったら、あるいはこのコンサートに来ていなかったら。クラシックが、ピアノが私の救いで良かった。このおかげで幸せだと思える事実が増えるし、私を幸せにしてくれるものが増える。幸せになるのは素晴らしいことだと思う。拠り所は多い方が良いとよく言う。自分を満たしてくれるものは多い方が良い。