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ドレスを脱ぎ捨てて、

感情の備忘録

花を見に行くことが増えた。あとはとにかく綺麗なものを見たいという意識が強くなった。喫茶店に行くことが好きなのも、喫茶店のカレーとかスパゲティとかモーニングとかクリームソーダとかに興味があるわけではなく、喫茶店に行けば綺麗な食器を見られて綺麗な食器でコーヒーや紅茶が飲めるからという理由だ。綺麗なものを見るのが好きになったのは、多分去年あたりから。イタリアやオーストリアの教会とかに行くうちにそういう神秘的なものとか、綺麗なものを見るのが好きになった。オーストリアは毎年行っているし教会も美術館も行くが、今まで教会にあまり興味なく特に良いと思わなかった。けれど何年も行ってるとその良さがわかってくるのか私が成長したのか、外国の教会が好きになった。お城や宮殿は昔から好き。

花には表情があるように見えるのだけれど、花は大体無表情で少し冷たい表情に見える。でも風が吹いて揺れると、人間が心地良さで目を細めるときのような、気持ちよさそうな表情になる。家に花があるだけで家が少し明るくなるような気がする。花が暗い気持ちを吸取ってくれるらしい。最近家に花がない。だから私の気持ちもなんとなく漠然と暗いのかも知れない。そうだ花屋に行こう。

この間は上野の牡丹苑に行った。何百本もの牡丹と、ときどき芍薬と、他にも季節の花が咲いていた。やっぱり花は無表情なのだ。その無表情さが高貴な感じが強調されて凄く良い。特に背の高い花は無表情だ。背の高い花はポニーテールを揺らした黒髪の女の人を連想させる。一方背の低い花には栗色の髪でパーマがかかっている女の子のような無邪気さとか少女性を感じる。背の低い花は割と常にニコニコ笑っているように見える。

花は人間に媚びない、花同士も媚びない、虫にも媚びない、花は伸び伸びしている。花は他の花の顔色など伺わないのだろうな。表情があるように見えると言っているのに無表情に見えるというのはおかしいかもしれないけれど、きっと無表情という表情なのだ。あとは、ツンとした、澄まし顔というのかな。とにかくそういう表情に見える。

牡丹というのは何というか、薔薇くらいの手のひらサイズなのかなと思っていたけれど、私の顔より大きかったから凄く吃驚した。牡丹苑に行ったことによって知らないことを知れた。ヨーロッパ系の外国人が多かったな。ヨーロッパには牡丹は咲いていないのだろうか。やはり花は綺麗、花は良いものだという認識はどこの国も同じなのだろう。蛇の目傘に守られた花はいっけん、守ってあげたいものの対象になりそうなのに、そんな擁護などいらない、ひとりで生きていけるから、という雰囲気が漂っていたな。

この時期は道端でもどこでもツツジがあちこちに咲いていて綺麗だ。濃いピンクのツツジよりも、ピンクと白が混ざったツツジが好きだな。ツツジにも少女性みたいなものを感じる。確かツツジ花言葉は初恋だった気がする。というか白い花の花言葉って大体初恋な気がする。白い花には汚れを感じないから初めてに関する何かの花言葉がつけられがちだよね、特に恋。まあ花言葉ってだいたい恋にまつわるものが多いけれど。

もうすぐゴールデンウィークだというのに、ゴールデンウィークど真ん中にピアノの発表会がある私はぜんぜんゴールデンなウィークになる予定のない。この時期の花はもう見に行けないから、次は夏の花を見に行きたい。