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ドレスは脱ぎ捨てた

更新はまちまち。

5/27

孤独との付き合い方がよく分からない、これから生きていく中で分かるようになっていけるのかも分からない。

 

子供時代とか学生時代とか十代とかのうちに手に入れられなかったものに人は執着するみたいな言葉をよく聞く、

今までの自分の人生に後悔はあんまりしないようにしているけれど、子供で学生で十代の今の自分に足りてない物とか今のうちにしか手に入らないのに手に入れられなかった、手に入られそうにない物、それがだいたい何か分かっている、これからそれに執着して生きていくのか〜と思うとちょっと怖い。意識的には執着しないで生きていきたいと思ってはいるけれど。

 

私が孤独や絶望に苛まれている間に、私ことを傷つけたり悲しませた人たちが私にないものを持ちながら楽しそうに生きているのが時々悔しくなる。

4/29 アイアン・メイデン

日曜日に拷問博物館というところへ行った。もっとも、戦争や命の尊さ云々より単純な好奇心、だけれど。地図で見た限りだと生活圏内にあるんだな、程度だったけれど実際行ったらそれがよく通る公園にひっそりと入口が佇んでいたから驚いた。今まで全然気がつかなかった。昼下がりの太陽の下では子供達がボールでのびのびと遊んでいる。

クロゼットの扉のように狭い入口の扉があって、階段を下っていく。チケットを購入したいのに人がいないなあと思っていたらおばさんがさっと現れてきたので思わず悲鳴をあげてしまった。

 

結構小さかったけれど第二次世界大戦の際に使われた防空壕を改装しているらしいのと、更には(恐らく首や手脚なんかを)切る音や野次馬の歓声やカラスの鳴き声のBGMがついていたりで、ちょっとしたお化け屋敷みたいだった。メジャーなものだとアイアン・メイデンとか火炙りとか水責めとか置いてあった。拷問器具の横にドイツ語で説明書きがあったけれど、知らない単語ばかりで私にはあまり理解できなかった。

鎖で繋いだトランプを体に貼り付けて見世物にされているイラストが壁に貼ってあって、それが結構好きだった。

 

そのあと歩いて家まで帰って、途中にMariahilferkirche (kirche=教会)があったのでついでに入った。ここの教会は天井が可愛い。ミサが終わった後だったようで、おじさんが掃除をしていた。

拷問博物館に行った後に教会に行くとは、なんともいえない、と同行した一時的に下の階に住んでいる新しい友達が言っていた。

 

日本だと明治大学にあり、そっちの方が規模が大きいとも教えてくれた。

4/29 寝坊

寝坊した。寝た時間が遅くなったので、起きる時間も少し遅く設定する為に変更したつもりだったのに、保存を押す前に完了を押していて、目覚ましを切ってしまっていたみたい。よくあることだ。

10分くらいの遅刻で済んだので良かったけれど、先生にちょっと遅れる!とメッセージを送ったら、今日から3日だけ先生が違うことを思い出して取り消した。このクラスの授業も、あと4日かー。なんて考えていたら、

私と私の隣とその隣の友達、なんとトップスがピンク!!3人で顔を見合わせて笑って、写真を撮った。

学校から帰って、下の階に一時的にいる新しい友達に、ちょっと窓開けて上を見て!とラインをして、そこで私は同じ位置の窓から顔を出して下から友達を見ていた。しょうもないことは分かっているのだけれどこういう風に上と下で会話をしてみたかったので付き合ってくれて良かった。

そして私たちの服の色が紫っぽいピンク→ピンク→肌色っぽいピンクだった、という話をその新しい友達にしたら、グラデーションじゃん、と突っ込まれた。ほんとだねー。

4/18

一昨日、ちょっと生っぽいような……あー……でも大丈夫かもとおもって食べた鶏肉がダメだったのか激しい腹痛と吐き気に襲われてベッドで横になってた時にカネコアヤノが聴きたくて、母親にイヤホンと携帯を取ってもらった。カネコアヤノの新曲は良かった。腹痛も治ったところで、ドーナツを食べた。

これは一昨日にこの文章だけは書いていたんだけれど下書きに入れたままだったので、せっかくだからこの日記に入れておいた。

 

カネコアヤノの新曲は凄く良かった、登下校中とか家にいる時とか、ずっと聴いてる。カネコアヤノ、天使みたいだ。

カネコアヤノの歌に出てくるような女の子になれたらいいのにと思う。

 

感情が揺れすぎて、喜び100!そして3分後には悲しみ100!みたいな感じで生きている常に。ギリギリ落ちない平均台みたいな。

私も、人間の成分の60パーセントはハエだか果物だかと同じだし何かされてもハエだか果物だかになんかされてるだけだなと思ってる、とか思ったり言ってみたかった。無理矢理人間はハエ、人間はハエ、とか脳内で反芻してても、結局人間は人間だし、嫌われないようにしちゃうし、嫌われたくなくてちょっと頑張って一緒にいたりしちゃうし。別に嫌われてもいい、もう会わなくてもいい、とか頑張って思う時もあるけれど本心とは少し違う。人間が好きだけど怖い。人に気を使わないでいられるような人は人間のこと怖くないのかな。私は私の幸せが1番だし自分で自分を大切にはできたりとかの、自分の内側面での自己肯定感は高いんだけど、他人から見た自分や外側の自分に弱い。

友達の中に、気を使わないことを開き直っている人がいて、その人を見るとこんな人間本当にいるんだーすごいなって思う。でもその人はなんだかんだ優しい。

私は人間に対して、もう少し無関心、無神経になってみたかったような気もする。でも、そんな感情が動かない平らな人生で良いのか?と思うこともあるけれど、私の人生はちょっと凸凹しすぎだと思う。

3/30 Tulln an der Donau

金曜日の学校終わりに友達と、ウィーン市を離れて特急に乗り、Tullnという、ドナウ川沿いにある街に行った。電車の中でザルツブルクに行った時のお土産を渡した。午前中は完全に曇りで、あぁ、雨とまではいかなくてもやっぱり私が遠出する時は天気が悪いなあ。と思っていたら!だんだん晴れてきて午後には快晴になったから安心した。聞くところ彼は自分で運がいいからね、と言っている。気温は15度でまあまあだけれど、風がなくて体感温度としてはかなり暖かかった。歩いていて少し汗をかいたくらい。

小さい街で、日本人どころか観光客すらいないようなところだった。

マーケットがやっていたので覗いたりアイスを食べたり、カフェのテラス席に座ったりした。オリジナルカプチーノを飲んだ。カプチーノの泡に砂糖をかけて食べるのが良いらしい。でも、私はやっぱりブラックが好きだなコーヒーは。

友達がスピーカーを持ってきていたので、スマホBluetoothで繋いで音楽を流しながらドナウ川の上にかかっている橋を渡った。横に広くて長い橋だった。横には車が、その横には電車が通る橋。右を見れば街と森と川が広がっていた。川沿いにある階段にしゃがんで夕焼けを待っていた。

雲が低くて、空も川も紅く染まっていった。小さな教会があったから入った。少しピンクに色付いていた教会は可愛らしかった。道端に伸びる影とか二羽の白鳥とか。寝転んだベンチから見えた空の青さとか。

入った雑貨屋さんの店員さんの娘さんが日本のことを学んでいるらしい。店員さん曰くこのお店の雑貨はすごく綺麗だからみんなたくさんお金を使っていく、のだとか。私達は何も買わなかった。日本人は早口。日本語は書くのも難しい、とも言っていた。平仮名、片仮名はまだしも確かに漢字は複雑だし覚えだすとキリがない。たまに他の国の友人に何文字あるの?と聞かれらが、まず三種類あることと、その二種類は形は違うが意味が同じなこととを説明し、もう一種類は難しいしめちゃくちゃ多くて数えきれない、と説明する。

オーストリアにある、Wachauという場所でできたリースリングがスーパーに売っていて、これは彼の友達が美味しいんだよとオススメしてくれたものだった。何も関係ないけどとりあえずそれを買った。

凄くお腹が空いていたから夜ご飯はその街にある中華を食べた。ヨーロッパの街並みの中に中華料理屋があると、ちゃんと中華の装飾がされるから凄い、と彼は言っていた。それで気になったらしい。結構ちゃんとしていたお店で、味は美味しかった。回転寿司もあったけど食べなかった。

帰りの特急を乗る駅まで歩いた。チケットを買ったところで、反対側のホームだったことに気づいた。出発まであと1分で、私達は急いだけれどタッチの差で間に合わなかった。次の電車は25分後。改札の様なものは特にないので駅を出て、少し歩いたけれどもう21時だったので特にやっているところがない。星を見上げて歩いた。それから駅の待合室で座っていた。

ウィーンに戻ってからリースリングを飲んだ。美味しくて、2人で1本空けた。

帰りは遅くなったので、彼がUberで私の家まで送ってくれた。タクシーの運転手さんと雑談をした。

 

友達は英語がすらすらと出てくるから凄いなあと思う。私といえば店員さんやタクシーの運転手さんや授業中に友達と雑談をする程度のドイツ語なら難なく出来る。2人で出かけて誰かと雑談をする時、私はドイツ語、彼は英語でそれぞれ話しかける。

 

最近は時間に追われてせかせかすることばかりだった中の、のんびりした旅でした。

3/27

最近は楽しい日々が続いていた

友達とドナウ島で泣きそうになるくらい綺麗な夕日を見てミルヒラームシュトゥルーデルを食べてもらい、宅飲みしたり。

 

日本から友達やピアノの先生が来てくれていたのでうちでパーティーしたりウィーン中を案内したりメニューの説明をしたり、

4年ぶりにザルツブルクにも行った。

そんなことをしていたらドイツ語力が少し上がった気がする。

まだまだだけど、しっかりしなきゃって気持ちも強くなるからいつも以上にちゃんと聞こうとしていた気がする。

やっぱり人の世話をするのは割と好きかもしれない、 仲の良い小学生の友達が3人いて、私についてきてくれたり先生!とか、大好きー♡ってたくさん言ってくれたのが本当に可愛かった。そのお母さん達とも日本でいつも飲んだり遊んだりしていて、ウィーンでもそれが叶うなんて!

ウィーンを歩いていたのに、日本を歩いているような感覚になった。

朝空港に見送りに行って、夏は大泣きだったから今日は泣くまいと最初は我慢していたけど結局は堪えきれなかった。

頑張ってね、とかどこでも生きていけるね、とか。ドイツ語が出来てすごいとか、沢山の嬉しい言葉を色んな人から貰った。

日本のお菓子とかティッシュとか出汁とかも貰った。

あんまり寂しくはないけれど、こういう時にはついつい泣いてしまうのは小さい時から変わらないなー。

 

そういえば楽しいことは自分で昇華できるから、楽しいことほどあまり書かないんだろうな。辛いことは自分だけで昇華できなくて、つい吐いてしまう。

3/10 3月

ウィーンに戻った。それでもやはりいつまでも心憂い日々が続いていて晴れる兆しは、なんといまだにない。どこから間違えたのか?を考え出してもキリがないし仕方がない。いっぺんに何もかもがどん底に落ちることは今までもあった。いつもならその後何もかも最高潮に上がっていくはずが、今度ばかりはそうもいかなさそうで。あんなに望んでいたものが手に入って、嬉しかったはずのことも、今となっては手放しに喜ぶことができない。

 

昔はよく、私はまた会いたいけれど向こうはもう会いたくないかもしれない、次会うことはないかもしれないと思いながら人と会っていた。

そのことを友達に話した時、その人との次はなくてもまた新しい誰かとのはじめましてがあるよ、未来をマイナス思考で気にする必要はあんまりないよ!!と言ってくれて、

最初は、確かに。そうかもしれない、と思ったし、その友達が私のために言葉を考えてくれたことが嬉しかった。

少し経ってから、いやでも新しい誰かとの初めましてより今一緒にいたい人との次が大事だわ、と思った。

今は、今仲良くしてくれている人達とも、はじめましてからはじまったわけだし、はじめまして、というのはあんまり悪いことではないのかもしれないと思うようになった。私の経験が増えたというのもあるけれど、やっぱり彼の言葉のおかげだと思う。

 

一般的に3月や4月というのは、出会いとか別れとかの時期とされているけれど、学校にも会社にも行っていない私にはあまり関係のないことだと思っていた。なのに、なぜか私にも出会いや別れを考えさせられるようなことが3月にはよく起きる。

色んな人と仲良くなったけれど、ずっとその関係が続いているというわけもなく疎遠になった人もいる。そういう人との次はないだろう。

これからも繰り返していくし、別れがあるたびに、絶望するし、孤独な気持ちになることもあるけれど。柔らかさと温かさで満たされるような出会いもちゃんとあるんだと実感した。それでも私が諦めきれないまま終わる仲もこの先あるかもしれない。だから自分に言い聞かせる。

 

私が思うより世界は広い

そうであってほしい