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ドレスは脱ぎ捨てた

更新はまちまち。

12/2 雨の日

今日はずっと曇り。それが何か珍しいことかと言われればもちろん違う。むしろ内陸の冬の天気としては正しい。眼下にある昨日積もった雪が白く残ったままの屋根を見つめながら、人間は太陽の光を浴びないとやっぱり狂ってしまう、そう思った。日焼けはあんまりしたくないけれど、太陽の光に当たることは好きだから、晴れている日はなるべく太陽の光に当たりたいな。風は吹かないで欲しい。私の皮膚を伝って身体中に浸透していく太陽のエネルギー。最近は10日から2週間に2日ほど晴れの日があり、1週間に1日か2日雪が降って、あとは大体曇り。雨の日は意外と稀。

語学学校の授業がある日、休憩時間になったら友達と、10mくらい隣にあるパン屋さんでパンを買って食べる。この前も例によって外へ出たら、霧雨が降っていた。雨に当たらないようにフードを被った隣の席のMarianaが、雨の日は良い天気だと思う、雨の日は好きだ と言っていてひどく同感した。雨の日が好きな人のことは、信じてしまう。メキシコにも雨が好きな人がいるんだ!国が違っても、同じような感性を持っている誰かがいることが嬉しかった。でもやっぱり風は吹かないで欲しいな。前髪が崩れる。

昼間につける電球の光が苦手。曇りでも、太陽の光が全くないわけではない。だから太陽の光と電球の光が喧嘩してしまう気がする。なので部屋がどんなに薄暗くても昼の間は電気をつけないでいてしまう。携帯の時計がなければ、今が何時なのかも分からなくなりそうだ。ずっと16時から18時の間で生きている気分。別に今が何時だって良い。窓のロールスクリーンくらいは上げても良いんだけれど、夜になったらまた下げなくてはいけないのが少しばかり面倒だから、そのままにしておこう。

ピアノを少し弾いてから、りんごが食べたいと母に頼んで、切ってもらった。7月の終わりにアボカドの皮を剥こうとして指をざっくり切ってから、私は包丁が使うのがすっかり怖くなった。あの時は1時間は、血が止まらなかった。それからは1回だけ豆腐を角切りにしたくらいで、包丁に触っていない。私の好きなりんごの食べ方は、多めのココナッツオルでじっくり焼いて沢山のシナモンと少しアカシア蜂蜜をかける。そのココナッツオイルが白く固まっていて、今の気温が暖房のついている部屋の中でも25度以下なんだなあと感じた。焼いたりんごが好きだけれど、新鮮な生のりんごに齧りつくのも好き。焼くと新鮮さが損なわれてしまうのが残念だと思う。だから切ってもらったりんごのうち5切れくらい、そのまんまのりんごを口に放り込んでから、と、この文章はりんごをフライパンで焼きながら書いているんだけれども、あ、少し目を離しすぎたかもなんて思ってりんごを見ればホットケーキのような茶色の焦げ目がついていた。ギリギリ焦げてはないけれども、限りなく焦げに近い焼きすぎ。

食べ終えて20分くらい経ってから今度はベッドに寝転んだ。身体が鉛のように重い。一眠りしたかったのだが、コーヒーを飲んだためか眠れなくなった。諦めて携帯電話をいじる、特に用はない。1番暗く設定してあるはずの携帯の画面がだんだん明るく見えていく。

曇りとはいえど日が沈んでいくにつれて部屋もより暗くなるから携帯電話の画面の明るさが目立つ。好きなミュージシャンのスタジオライブを聴いて少し泣いた。泣いた、って感情の頂点な気がする。喜怒哀楽。全て自分のキャパの1番上に達せばきっと最後は泣いてしまう。ほんとうに良かった。ロックが大好き。

胃が痛くなる。胃腸の調子が悪いとお手洗いが心配になってしまい、出かけるときに不安になる。今はどうしてだろう、コーヒーを飲んだからかな。最近気づいたのが私は、コーヒーを飲むと胃が痛くなる体質らしい。今まで何万杯と飲んできたのに、2週間前に初めて気づいた。

もう3年も前のことになるけれど、お風呂から上がったら当時付き合っていた恋人からLINEで、別れようというメッセージが来ていて、あの時は本当に気が動転したのをよく覚えている。だから私は今でもお風呂上がりに携帯を開くこと、LINEを確認することが苦手だ。毎日緊張しながら開いてしまう。

12/1 きな粉餅

2時間お風呂に入っていた。上がった頃には14時半を回っていた。今日は何もしていない。ただ起きてからベッドでゴロゴロしてままが作ってくれた三種類のチーズのリゾットを食べただけ。出かけるから準備しなくちゃね。今日は下地塗らなくていいや、本当は化粧する気自体起きない。でもコンプレックスは隠したい。コンプレックスを隠すためだったり自分をよく見せるためのそれは化粧というより作業だ。歯を磨くみたいに、パジャマからよそ行きのワンピースへと着替えるように、当たり前のこと。自分をよく見せるためのそれをしていて悲しくなるなんてことはあまりない。他人からよく見られた方がやっぱり嬉しい。これからマシなわたしになるんだ、という気持ちでそれをしている。そしてマシなわたしが鏡に映った。最後にクラランスのコンフォートリップオイル03を塗って完成。これは赤い口紅の中でも透明感とか透け感のようなものがあって、私の顔によく馴染む。お気に入り。

香水をつけたけれど、なんかうまくいかなかった。たぶん周りの人にはあんまり匂わないんだけれど、わたしにはすごく強く匂うようについてしまって、あー、なんだかなあという気持ちになってしまった。この香水は数年前にウィーンで買ったけれど、女の人がつけるより男の人がつける方がもう少し素敵だと少し前に気づいた。いや、わたしがまだ子供すぎるのかもしれない。26歳くらいになったら似合うかもしれない。

髪の毛を自然乾燥させるついでにモーツァルトピアノソナタK.V.332を弾いていた。ウィーンやザルツブルクの葡萄畑が浮かぶ。1楽章は、途中に少し強さのようなものもあるけれど、基本的には可愛らしい。可愛いには、可愛いをつくるための精神的な強さも必要なのかもしれない。聴きながらスキップしたくなるような。例えば晴れた土曜日の朝にこれを聴いて鼻歌を歌いながら部屋の掃除がしたい。例えば友達と入ったカフェにそれが流れていたら、私はまたそこに行きたくなってしまうかもしれない。

12月20日にウィーンのピアノの先生の門下生が集まってコンサートをやるから、それに向けての練習。今のところの出来はまぁまぁかな。当日までにきっちり練習していればきっと上手くいくだろう。暗譜で弾いていたけれど、あってる自信がなくて恐る恐る弾いてしまう。暗譜じゃなくても、やっぱり自信がなくて恐る恐る弾いてしまうんだけれど。

昨日の夜から今日の朝にかけて、そこそこ雪が積もった。19時半、雪の帰り道を歩きながら、雪を踏む時の音について話した。友達はさくさくと言った。わたしは、ほろほろだと思う。そう、スノーボールを噛み砕いている時のような。友達の頭上には、クエスチョンマークが浮かんでいた。別に分かってくれなくたって良い。

雪を投げ合ったりもした。水分の多いそれはわたしのコートに張り付いたかと思えばすぐに溶けてしまった。溶けきれてないそれを白い手が払ってくれた。私は手袋をしていたが、相手は手袋をしていなくて少し冷たそうだ。単純に楽しかったし、雪が積もっていることが思いのほか嬉しかった。なんだかんだ雪に喜んでいる自分の無邪気さに安心した。ふふふ、私はまだ16歳なのだ。あと、1週間は。

同じアパートの友達とまたね、と声をかけ合って分かれた。まだ20時前なのにおやすみと彼女が声をかけるから、いやまだはやいでしょ、と突っ込んだ。私とママはもう一階分階段を上がって玄関に入り、ブーツのファスナーを下ろして手袋を外しコートをハンガーにかけて、白のH&MBlack Fridayの時に買ったニットワンピースとこれまた白のユニクロのシャツ、それからスキニーを脱いでTシャツ短パンに着替えた。最後に口紅をティッシュで落とした。

 

グリーグのヴァイオリンソナタ3番の2楽章を譜読みした。二拍子。テンポが怪しい。あと拍数。いつもそうだ。譜読みの時に1番苦手なのが正確なテンポ、音符の長さを数えること。メトロノームを使っても、メトロノームの音が無機質過ぎるからかよく小節の境目が分からなくなってしまう。8月から1回もまだしてないのでピアノの調律をいい加減しなくてはならないのだけれど、調律師さんにコンタクトを取るのを毎日忘れてしまう。ママは知らない人に電話をするのが苦手だという。私は別に大丈夫。

友達が日本からとりあえずわたしの家に誕生日プレゼントを贈ってくれるようだ!すごく嬉しい。何回もありがとうと言った。本を頼んだ。江國香織の本を全部集めたいのだ。でもね本当は、わたしが今1番、本当に欲しいものはどんなに沢山のお金でも買えなくて、誰にも頼むことができないもの。考えると落ち込みそうになるけれどまぁしかたない。自分で手に入れるほかないのだ。

 

ここ1週間くらいずっと、寝るのが深夜を回っているから、日曜日くらいは少し早めに起きてピアノを弾きたいんだけれど、午前に起きられる自信がない。明日ちゃんと起きてからすぐ行動できるために、今日2回目のお風呂に入る。もう23時だ。1日がこんなにあっという間なことが、泣きそうになるくらい怖い時がある。みなさんはどうですか。

 

度数が高いから、母があんまりたくさん飲むことを嫌がっていたポーランドで買ったリキュール、ばれないようにこっそり飲んでいたのに、ついになくなった。でも瓶が重いからもうそんなに飲んだなんて気付かなかった。甘いから絶対カロリー高いんだけれど美味しかったなあ。

11/30 グリューワイン

グリューワインに最近ハマっている。

クリスマスマーケットで飲んでから虜になったと言っても過言ではないくらい、それはもうありえないほど飲んでいる。

1L入っているグリューワインの瓶を、もうわたしとままとで3本は飲んだ。わたしだけが飲んだ量も、きっと1Lは超えているだろう。

グリューワインとは、ワインに砂糖や蜂蜜やシナモンやクローブ、カルダモンに生姜、ローズマリーにタイムなど、十種類以上のスパイスを混ぜてギリギリ沸騰させずアルコールを飛ばさないくらいで煮たホットカクテル。相当にカロリーが高いことをもちろん分かってはいるんだけれど、本当にえらいほど美味しくて、やっぱり沢山飲んでしまう。どうして16歳が堂々と飲酒していてその旨を発言しているかといえば、オーストリアは16歳から飲酒及び喫煙が可能な国なので、つまるところわたしは合法だからだ。16歳から合法的に飲酒できるオーストリアは酒飲みの地を受け継いだ私にとって、なんて最高なのだろう。

ままの真正面に座り手短に夕食を済ませてから、食事用のテーブルの上に飾りついでにおいてあるグリューワインの瓶へ手を伸ばして、わたしが飲む分とままが飲む分を小さな鍋に流し込んで火をつける。黒色の鍋に広がる葡萄色を見ていると、なんとなく心が落ち着くし、早く飲みたいとうきうきしてしまう。ふつふつと小さく泡立ちはじめたら素早く火を消して2つの色も形も違う同じくらいの大きさのマグカップに注ぐ。当然ながら熱いのでグラスでは持てない。もはやグリューワインのない冬の夕食後なんて考えただけでつまらない。この間の土曜日なんて、目が覚めてからいきなり飲みたくなって、お昼ご飯とともに飲んでいた。わたしは飲酒するとぐずぐずになるからお昼から飲んだその日は当然何もできないししなかった。あ、買い物には行った。ここでの何もしないというのは、しなければいけない勉強やピアノのことなんだけれど、やっぱりお酒を飲むとぐずぐずになってできなくなる。

グリューワインを飲みながら読む江國香織は、いつもより数倍力強く、彼女の言葉がわたしの心に入ってくる。あの時はきらきらひかるを読んでいた。潔癖症でホモの旦那と、精神疾患でアル中の妻の話。

冬にしか飲めないのが惜しいけれど、確かに冷ましても美味しいのだがグリューワインは夏に飲むにしては濃厚過ぎるね。携帯の電池が残り3%だしもう寝ようと、部屋の中でつけていたろうそくの火を吹き消したら、少し焦げたような匂いが広がった。

Fruhling

春になった。3月1日。もうすぐ春ですね、という歌詞の有名な歌があるけれど、そんな前置きや変化の予兆ははなくて、昨日まで早く冬が終わらないかな、と思っていたはずなのに、3月になった途端に、私達が寝ている間に、昨日までの寒さが嘘のように、春になるのだ。この感覚を私は知っている。7月になった途端夏になる、9月になった途端秋になる、11月になった途端冬になる、季節はいつも私達の先を行く、置き去りにする、そんな感覚。私は冬が嫌いで、冬になった途端嫌な気持ちになる。あー、この冬はいつ終わるんだろう、あまり寒くないと良いな、なんて心が重くなる、けれど春や夏は嫌いじゃない。わくわくする。

春になって季節が変わってようやく年が変わった実感が湧いて、今年がどういう年になるのか誰に出会ってどこに行って何をするのか、どんな楽しいことが待っているのかな。どんな映画を観るのだろう、何に感動して何に悲しむのか。あまり怒りたくはないな。そういうことに想いを馳せるようになる。いつもそうだ。私にとって、12月31日から1月1日になるより、2月28日から3月1日になる方がよっぽど、ドラマチックで感動的だ。3月1日は2月28日のの翌日、延長線上に過ぎないのに、昨日まで身に纏っていた分厚いコートをもう羽織らなくて良くなるのだ。これだけで、心が軽くなる。新しい化粧品と新しい香水を身に纏い、新しい鞄を持って外に一歩踏み出せば、突然吹いてくる南風と、幼稚園児の声と真っ青な空。足取りが軽くて、速歩きしただけなのに、少し汗ばむ身体。暑がりの私はもう半袖でも良かったのではないか、と。電車から射し込む太陽の光にうたた寝。今日くらいは電車がいつも通り来なくても、許そう。